「ミソジニー」なんて言葉を使うのはツイッターの人だけ

ツイッターで「ミソジニー」って言葉を初めて知った。
「女嫌い」を意味するらしい。

普通に生きてたら、女を憎んだり恨んだりなんて考えることなどない。

勝部元気さんが自分の記事に対し、「ミソジニーが働いている可能性が大いにある」とツイートしていたけど、そんなわけないやん。

女の子には冷たくされることもある。
理不尽なことをされることもある。

でも、基本的にはみんな優しいし、チヤホヤしてくれるし、ノートや宿題を見せてくれたり、給食のプリンをくれたり、辛いときは応援してくれたり、マジで「女嫌い」なんて考える瞬間は一秒も発生しないのだ。

根本にあるのは

「こんなにどうしようもねェ 俺を」

「愛してくれて ありがとう」

という感謝だ。

f:id:hideyoshi1537:20190706082629p:plain

ケツメイシの「No Lady No Life」という曲に近い心情かもしれない。

「世の中 君達なしで語れない
いつでもどこでも 頭離れない
その昔からそう いつだってそう
この感謝の気持ち どう表そう」

女の子に対して根本にあるのは「感謝」だ。
いつも本当にありがとうって。

フェミニストの人たちに何か反論しても怒られるし、揉め事を起こしたくないので、ツイッターやメインブログでは沈黙するしかないのだが、ミソジニーと言われるのは心外だ。とんでもないレッテル貼りだと思う。

「ミソジニー」なんて発想が生まれること自体が不思議だ。

教室の隅っこで、女にチヤホヤされてる男を遠目に見ながら、

「なんで俺のことを誰も構ってくれないんだよ」

とか歪んだ目で世界を見ていたら、ミソジニーになるのだろうか。

そんなんただの陰キャじゃん!
一歩踏み出せば、そんな環境脱出できるのに!

ツイッターではミソジニーだ!ミソジニーだ!とか騒ぐ人がたくさんいるけど、そんな人と人生で関わったことないんだよな...。

「男はクソだ!」とか「ミソジニーだろ」みたいな人、人生で本気で一度も見たことがないから、そういう人がツイッター以外でどこにいるのかわからないんだ...。

というか、「男嫌い」だったらそもそも原理的にアプローチすることは不可能なので、会ったことないのは当然なのか。

「男」に恨みを抱いたり、「女」に恨みを抱くことってあるのかな。
変なやつにストーカーされて恐怖を感じた、みたいな人はいるかもしれない。
前遊んでた子の中にもいた。可愛い子は、人生で一度は変人に嫌な思いさせられてるのかも。

けど、変人のせいで嫌な気分になっていた女の人で、その憎しみを「男全体クソ」と広げていた考えていた人はこれまで会った中にはいなかったな。

「嫌な奴もいるけれど、いい人もいる」ってわかってるからだ。
「男全体はクソ」とか「女はクソ」とか、そんな発想にはならないんと思うんよ。

フェミニストの中には綺麗な人、容姿に恵まれた人もいるので、

「ブスが男嫌いを叫んでる」

とは言えない。
というか、フェミニストとミサンドリーは全然違うのだろう。
フェミとミサンドリーがごちゃごちゃになってるから、ややこしくなってる、と論じる人もいた。

男についてはよくわからないが、「自分が受け入れられない経験」がずっと続くといわゆる「ミソジニー」が発動するのかもしれない。
一回、本当に素敵な恋をしたり、幸せな気持ちになれたら、異性全体を憎むなんて発想にはならないし、どうせなら憎しみを持って敵を倒すよりも、幸せな道を歩んだ方がいいと思う。

あと、あの記事に関して「政治や原発にも過激化する現象が怒っているのに、なぜフェミニストについてだけ言及するのか」と言われることがよくあるんだけど、そもそも記事のテーマがフェミニストの過激化を論じることで、記事を書いたきっかけが

「リアルで問題が起こったのでフェミニストやめました」

というツイートを見たことだから、テーマがフェミニストになるのはごく自然なことなんだ。
良くも悪くも論議が起こってしまったのだけれど、幸い自分のツイッターのタイムラインは平和だ。

揉めるが予想できたから、ツイッターにあの記事を流さなかったのは我ながらナイス判断だったと思う。間一髪で命をつなぎとめた形だ。

いずれにせよ、フェミとかミサンドリーとかミソジニーとか、どうしても不穏な気分になって、心の平穏が遠ざかるので、このブログを読んでいるような奇特な人は、まぁ...なるべく関わらずに平和にしてるのがいいんじゃないかな。