俺の下ネタ

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ヤリモクは悪なのか?否!ヤリ捨ては悪だがヤリモクはむしろ健全だ


先週、男女における「デートの勝率を上げるレストラン」の考え方の違いという記事を書いたら、はてなブックマークのコメントで

「筆者はヤリモク。だから間違っている」

というようなコメントをいただいた。

記事の内容を簡単に説明すると、女性のグルメブロガーが紹介する「勝負レストラン」の周りにはラブホテルなどがなく、「その後の動線」が考慮されていないため、万が一の展開に対する備えがなく、“彼女以前”のデートの場としては適切ではない、というものである。

ラブホテルとか全く無い辺境の地の美味しいレストランに行くなら、酸いも甘いも分かち合った愛する彼女と行くべきで、むしろそうじゃないと美味しいレストランでも味に集中できないだろう、というのが僕の意見だ。


しかし世間の反応は厳しく、辿り着く先をホテルと匂わせたデートはヤリモクとみなされ、悪とされるようだ。

だがそんな世間の逆風にめげることなく、僕はあえて異論を唱えたい。


ヤリモクは決して悪ではないと。


我々は小さい頃からたくさんの恋愛ドラマや恋愛漫画を読んできて、そこから「正しい恋愛」を学んできた。

男女のすれ違いを克服し、何ヶ月も費やしてお互いの心を探り合い、悩み、何らかの事件をきっかけに距離を縮め、


「お前が好きだ」


と告白し、主題歌が流れ、それから女が涙を流して

「私も...本当はあなたが好き...」

とお互いの意志を確認してからお付き合いを始め、それからやっと漫画のコマの外やテレビの画面の裏側で「お突き合い」をするものだと思い込まされてきた。


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たしかに高校生まではそのような牧歌的な恋愛が主で、身体の関係だけを狙った男はカス中のカスとされ、排斥されてきた。

しかし大学以降の割と性にオープンな環境においては、少女漫画風ときめきメモリアル的デートはあまりにも現実的ではなく、

何ヶ月もダラダラと本音の探り合いなどしてたら別の男を見つけられてしまう

のが常であった。


女は鳥。

機会を掴まなければ飛び去ってしまうのである。
そして何羽もの鳥に飛び去られ、私は考え方を改めたのだ。


セックスは悪ではないと。


お互いに「いいね」と感じ合い、気が合い、親密になりたいと思えたなら、その先にホテルがあって何の悪いことがあろうか。

悪いはずはない。


むしろ「カモンベイベーアメリカ!」くらいのノリで、女の子が気持ち的にもおちんこウェルカムな状態のときに、

「否、拙者のデートはヤリモクではなく、メシモクでござる。

貴女には指一本触れないでござる」


なんてほざいていたら、U.S.Aならぬ


U.Z.A


と言って女がブチギレていいところだろう。


もちろんヤリ捨てはいけない。

大学だろうと社会人だろうと性にオープンだろうと、ヤリ捨ては相手を軽んじるので悪だ。

セックスは他人を幸せにするものであって、不幸にするものであってはならないのだ。


このようにヤリ捨ては悪とされても納得がいく。

しかしヤリモクは言葉が悪いだけで悪ではない。


「ヤリモク」というからなんか悪そうな印象を受けるが、

「成り行き」

とか

「運命のイタズラ」

と呼べば、それはむしろ尊いはずだ。

迷うことなく運命に流されよう。

ホテルに行くことは罪ではない。

僕たちは恋愛漫画の影響を受けすぎて、なんだか「成り行き」を悪者扱いしがちだけど、
通じ合うものがあるならば運命に身を任せてもよいのではなかろうか。

その先があるかないかは、それこそセックスする前に決まっているものなのである。


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